5日目
『やっぱりガンジス河に浸かりたかったな・・』
ということで、朝はバダルに頼んで、ガンガーへ再び・・
8人中、希望者は3人でしたが f^_^;)
この日の朝陽はキレイだった~♪
一緒に行った凸さん、ナナちゃんがガンガーに入水したとこ見たかったのに
インド人のボート漕ぎが
「ねぇ、絆創膏ちょーだい!」
って騒いでたため見れなかった・・(ノ_<)
そして僕も 念願のガンガーへ入水!
ガート(階段)を降りていき川の中へ・・
うぉ・・ヌルヌルするなぁ・・(^^;;
きっとお尻の穴まで浸かっちゃうと菌に侵されそう・・(^^;)
さすがにこれ以上は入れなかった・・・(⌒-⌒; )
オイオイ、、おっちゃん達にとっちゃ銭湯なのかよ・・(^^;;
ヒンズー教徒の聖地で僕が手を合わせるのも違うのかな?
とも思ったけれど、そうしたくなるガンガーでの朝だった
向こうでは全身泡まみれのオッサンが・・・
ホテルへ戻り、鶴ちゃんが仙人に軟禁されてるとは知らず・・
(ホテルの部屋がなぜか外鍵しか無く、外から鍵かけると中の人は出られなくなる・・鶴ちゃんがその犠牲に・・(^^;)
ヴァラナシを散歩♪
ロバに乗った少年。
学校には行けず働いてるのかな・・?
そして朝食はトーストと卵焼き
卵焼きの大きさのバラバラさよ!!(右上が梶センパイのw
インド人に “均等”という言葉は存在しないらしい。。
だってさ、ユカちゃんの卵焼きなんてさ、
えこひいきが過ぎるわっ!!
梶センパイ、へこむよね〜 ヽ(;▽;)
デリー観光
ヴァラナシを後にし、国内線でデリーに戻り念願の観光♪
クトゥブ・ミナール
クトゥブ・ミナール(Qutub Minar, ヒンディー: क़ुतुब मीनार)は、インドのデリーにある世界最高のミナレット。
1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられた。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。おそらくヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたものであり、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。
フマユーン廟
フマーユーン廟(英語: Humayun’s Tomb、ヒンディー語: हुमायूँ का मक़बरा、ウルドゥー語: ہمایون کا مقبره)は、インド共和国の首都デリーにある、ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーン(Nasiruddin Humayun、همايون)の墓廟。インドにおけるイスラーム建築の精華のひとつと評され[1]、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれる。
インド門
インド門 (India Gate) は、インドのデリーにある慰霊碑。パリのエトワール凱旋門を基にエドウィン・ラッチェンスによって設計された門型のモニュメントで、第一次世界大戦で戦死したイギリス領インド帝国の兵士(約8万5千人)を追悼するために造られた。
高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれている。東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれている。永遠の火という火が灯されている。
こういった世界遺産などを見ることでインドの歴史にとても興味を持った一方で、
そのインドの長い歴史の中で作られた制度が今でも根強く残っている光景を
目の当たりにすることも・・
デリー観光中、車で信号待ちしていた時、
ふと、歩道の方に目をやると、5、6歳の男の子がいて目が合った気がした。
するとその子は、1歳くらいの女の子を抱っこして交通量の多い車道を渡り、
物乞いをしてきた・・
歩道では、その子の母親らしき人が様子をうかがっている。
結局僕は、その子に何もしてあげられなかった。
何も出来ないならば、あの子を見るんじゃなかった。 知らぬフリをしてれば良かった。
見る責任、関わる責任というものを感じた瞬間だった。。
インドでは様々なところでこういった子供たち、大人たちを目にした。
中にはわざと子供の手や足を切断し、同情を誘ってバクシーシ(施し)を
得ようとする人もいるようで..
デリーなどの都市になるほど 格差の大きさにもショックを受けた
これがインドの現在。 これから果たしてどうなっていくのだろう・・・・
仙人がインド行く前に書いてた記事、生と死と
ただこれだけを読むのと、実際インドで自分で見るとでは大違いだった。
コンノートプレイスで食事
リキシャーでかっ飛ばし!
コンノートプレイスのレストランでディナーを。
この日はだいぶ酔ったな。。
みんなオッパラッテタw
梶センパイも熱かったな♪
ホテルへ戻って飲みなおすはずが、爆睡してた5日目の夜。。
最終日はいよいよ、ハナヘナが生まれる瞬間が!